• MUCC、ツアーを締めくくるZepp DiverCity公演のオフィシャルレポが到着!


MUCC、ツアーを締めくくるZepp DiverCity公演のオフィシャルレポが到着!

4月15日(土)@Zepp DiverCity Tokyo
© music.jp


    MUCCが2月4日(土)のTSUTAYA O-EASTを皮切りに開催したツアー「MUCC 20TH ANNIVERSARY 97-17 羽化 -是朽鵬6極志球業シ終T脈殺-」の最終日、4月15日(土)Zepp DiverCity Tokyo公演のライブレポートをお届けする。

    2017年。MUCCは20年という節目を迎えた。

    茨城という地に生まれ、同じ時代を生き、共に“バンドというサウンドが放つ熱”に翻弄され、友達の提案からノリで付けたMUCCというバンド名で“バンド人生”を歩み出した10代。今から20年前の彼らは、その頃、今の自分たちを想像出来ていただろうか?

    きっと、彼らは迷わず自分たちの変化と進化を、想像出来なかったと語ることだろう。

    結成から20年経った今、【MUCCというノンジャンル】を築き上げた彼らは、確実に“自分たちがなりたいバンド”になれていると思う。しかし彼らは、今の自分たちのスタイルを結成当初から明確に持っていた訳ではないと思うのだ。というのも、結成当初の彼らの放っていたサウンドは、メインコンポーザーであり、バンドのリーダーであるミヤ(G)のルーツでもある昭和のフォークを基盤とする、アンダーグラウンドなダークさを宿したサウンドであり、そのサウンドに乗せて唄われる歌詞は、人間の業を赤裸々に吐露する言葉たちだった。故に、そこにエレクトリックな質感や同期音や英語などは皆無であったのだ。しかし。20周年という歳月の中にあった様々な出逢いや経験から、MUCCは新たなサウンドへの道を切り開いていった。

    目に見えた大きな変化があったのは、2007年10月にリリースされたシングル『ファズ』であったと言えるだろう。4つ打ちのダンスチューンであるこの曲は、MUCCがエレクトロやテクノといった、いままでのMUCCの音の中に存在することのなかった要素がふんだんに取り込まれていたのだ。

    細かい変化としては、オーケストラと共存させたバンドサウンドで聴かせたメジャー5枚目のシングル『雨のオーケストラ』などを含む、2005年の11月にリリースされたアルバム『鵬翼』も、MUCC史上における一つの転換期であったとされるが、分かりやすくデジタルを取り入れたサウンドの変化が見られた2007年以降の彼らは、確実にバンドとしての振り幅と表現力を多いに広げたと言えるだろう。

    今、MUCCというバンドは音楽シーンにおいて、いったいどのジャンルに属するのだろう? 一般的には【ヴィジュアル系】というジャンルに属すると言われるのだろうか? 日本の音楽シーンの中でヴィジュアル系というジャンルは、なにかと疎外されがちではあるが、MUCCは自分たちが例え疎外感のあるシーンに属され、どう呼ばれようとも全く気にしてはいない。MUCCは、ヴィジュアルシーンのフェスや、メタルシーンのフェスや、ラウド、パンクシーンのフェスや、流行のロックバンドが一堂に会するフェスと、どのシーンにも堂々とその名を連ねているほど、MUCCという確実なジャンルを築き上げているのだ。

    まさしく。MUCCとは、【MUCCというノンジャンル】なのである。

    そんな彼らが20周年目に選んだのは、自らの過去との対面だった。

    その対面の形こそが、2月4日の渋谷O-EASTから始まったツアー『MUCC 20TH ANNIVERSARY 97-17 「羽化 -是朽鵬6極志球業シ終T脈殺-」』だったのだ。

    このツアーは、21ヶ所23公演というスケジュールで全国をまわり、4月14日、15日のZepp DiverCity Tokyo 2days公演で、そのツアーを締めくくった。

    今回のツアーのセットリストの軸となっていたのは、1月25日にリリースされた通算13枚目のフルアルバム『脈拍』であったのだが、20周年を記念する“周年ライヴ”であったことから、セットリストには軸となる『脈拍』の他に、もう1枚のアルバムが偲ばせてあったのだ。今回のツアーでは、その“もう1枚のアルバム”が何であるかが分かる【方程式】が設けてあり、一つ前のライヴでその方程式が解けるという仕掛けになっていたのである。その仕掛けとは、その日のアンコールの始まりが次のライヴの“もう一つのアルバム”の中の1曲であったのだ。

    つまり、オーディエンスは、聴きたい曲を狙ってライヴに来れるということも可能であったという訳。これは、ただ過去曲たちと対面するというだけでは物足りないという、彼らの粋な計らいだ。

    実に、フルアルバムは、2014年の6月25日にリリースされた『THE END OF THE WORLD』以来3年ぶりとあって、アルバムツアーとしても久しぶりだった彼らは、今ツアーでは4曲目までをアルバムの収録順と同じ並びで頭に置き、しっかりとアルバムをオーディエンスの記憶に刻んでいった。

    照明が堕とされ、真っ暗になったフロアとステージ。フロアと客席を隔てる黒い紗幕にいくつもの光が彷徨うと、彼らはステージへと姿を現した。「脈拍」へと繋がる言葉をステージ中央で逹瑯(Vo)が唱えると、ミヤの幻想的なギターフレーズに導かれ、逹瑯の叫びと爆音と共にその幕は落とされた。

    約2ヶ月ほど前に観たツアー初日と同じ流れとは思えぬほどの成長に息をのんだ。間髪入れずに届けられていった「絶体絶命」も、つい3 ヶ月前に産み落とされ、オーディエンスの元に届けられた新曲とは思えぬほどの馴染み具合である。ミヤとYUKKEが同時に竿をまわすパフォーマンスもすっかり定番となり、オーディエンスはこの曲で大きなサークルを出現させ、力の限り走り回った。そんな“最低最悪の景色”は、さすが、アルバム1の人気曲の風格を漂わせていた。

    アルバムの流れ通りに届けられていくこともあり、前の曲が終ると、頭の中に刻まれた記憶が既に次の曲のイントロが流れ始める準備をし始める。そんな脳内で始まった「CLASSIC」の音に、会場のクラップが加わり、音源以上に勢いを増して描かれていく「CLASSIC」が目の前に広がった。TVアニメ『七つの大罪 聖戦の予兆』のオープニングテーマであり、ベースのYUKKEがシングルとしては初の作詞作曲ナンバーであるこの曲ではYUKKEが中央に立ち舵を取っていくフォーメーションも、このツアーで新たに生まれた景色だ。続く「KILLEЯ」での、逹瑯が前列のオーディエンスに体を預け、そのまま天を仰いで歌い、フロアの真ん中にはサークルモッシュが出現するというド迫力な景色も、同じくツアー中盤あたりから、この曲のおキマリの演出となっていた。オーディエンスと共に曲を育ててきた成長の過程が伺えたのも、1曲目から4曲目までを変わらぬ並びでセットリストに置いた、今回のツアーだからこそ生まれた特別な景色だった様に思う。

    そして。5曲目に置かれた楽曲こそが、『脈拍』の他に偲ばせてあるアルバムの楽曲である。それは、9日のZepp Osaka Baysideのアンコールの1曲目であった「誰も居ない家」を受けての「路地裏 僕と君へ」だった。オーディエンスは、ミヤのつま弾く妖しげなフレーズに、SATOち(Dr)の大きく構えたドラムが加わり、それが「路地裏 僕と君へ」だと分かると、歓喜の声を上げた。2004年にリリースされた4枚目のアルバム『朽木の灯』からの選曲である。業に塗れたとことん暗い世界を描き上げたこのアルバムは、【MUCCという名のノンフィクション】が詰め込まれた重要作と言っても過言では無い。左手をネックに滑らせ低音で深い闇を描いていくYUKKEのベースがとても印象深いこの曲から、「未完の絵画」「濁空」「幻燈讃歌」と『朽木の灯』の世界が繋がれていく。この当時のMUCCの唄は、感情そのものであり叫びであるが故、単に歌唱力だけではなく、表現力が求められるものである。13年という時を経て歌われたそれらからは、逹瑯が見て来たこと触れてきたものが積み重ねられた、“表現力の増したあるがまま”を感じ取ることが出来た。

    9曲目に届けられた「りんご」から、「勿忘草」「EMP」「秘密」と、『脈拍』のラインナップへと戻されていったのだが、この流れでは確実に進化したMUCCの音の中に、“初期のMUCC”を毎回感じていた。アルバム『脈拍』は、プロデューサーにKen(L'Arc〜en〜Ciel)を迎えての制作であったのだが、今作は、MUCCのアルバムの特徴でもある【新たなジャンルをMUCCに持ち込むというチャレンジ】よりも、培ってきたMUCCの個性のブラッシュアップを感じる1枚だと思っていたこともあり、「りんご」から始まるこのブロックに差し掛かると、改めて『脈拍』は、原点回帰と進化の両方を含んだ20周年目に相応しいアルバムであったことを実感させられたのである。

    「過酷だったツアーも、今日と明日で終わります。ただね、このツアーが終わるだけなんですよ。何も終わった感がないんですよ」(逹瑯)

    そう。彼らは結成20周年に当たる2017年に20個の卵の孵化を提示し、それらを20周年の使命として自らに課していることから、このツアーが終わっても、まだまだ卵は孵化し続けるのである。現在、20個の内10個の卵が孵化しているが、この日のライヴで2個の卵が孵化することを新たに告知したのである。

    それは、7個目の卵から孵化する、5月4日に茨城県立県民文化センター大ホールで行なわれる結成記念凱旋公演『家路 〜Happy Birthday to MUCC〜』と、6月20日、21日に行なわれる、MUCCとして5回目・6回目となる武道館単独公演『MUCC 20TH-21ST ANNIVERSARY 飛翔への脈拍 〜そして伝説へ〜』の会場で購入できるという、会場限定シングル「家路」のリリースと、13個目の卵から孵化する、MUCC結成20周年ヒストリーブック『M』の発売決定(7月19日発売)だった。

    どちらもやはり、過去との対面。シングルでは過去曲と向き合い、新録やパートチェンジで本気で遊び、ヒストリーブックでは過去の自分たちと向き合い、包み隠さず語りきっているのだ。

    自らの過去と、とことん向き合うことを選んだ20周年。

    1つ目の卵の孵化であった『脈拍』も、2つ目の卵として孵化したこのツアーも、現在の彼らを隠さずに曝け出したありのままの生き様を見せつけられるからこそ、心を大きく揺さぶられるのであろう。

    この日、何度か絶頂を越える盛り上りを魅せてくれた彼らだったが、その中でも特に印象的だったのが、「名も無き夢」で魅せた“愛しいまでの最低最悪な景色”だった。曲中に“人壁”が出現し、一斉にダイブする景色は絶景であった。

    「東京! 今日と明日で勝負しようぜ! 未来と勝負しようぜ! 明日に負けてらんねぇよな! 明日に勝ったら未来に行けるんだよ! 飛べるよな!」(ミヤ)

    と叫ばれたミヤの言葉でさらに拍車がかかり、フロアはサークルモッシュとダイブを全力で繰り返し、絶頂を超えたのである。

    「名も無き夢」の歌詞の中に在る様に、彼らは、失うことで強くなり、擦り切れた想いを詩として歌ってきたのだろう。

    まさしく、彼らのすべては、【MUCCという名のノンフィクション】なのである。オーディエンスは、そんな赤裸々で不器用で嘘の無いMUCCの生き様に胸を打たれ、自らの足りない部分にMUCCというピースを嵌め込み、心を満たし、自らの背中を強く押すのであろう。最高の関係性である。

    「東京! よくやった!」(ミヤ)

    なかなか満足度のハードルが高いミヤが素直に認めたほど、オーディエンスは素晴しい盛り上りを魅せたのだ。

    そして。「孵化」をラストに、オーディエンスを包み込む圧巻のサウンドで本編を締めくくり、第2部と呼べる、このツアーの見せ場でもあったアンコールへと繋げたのだった。

    このツアーの特徴としてもう一つ、次のライヴで届けるもう1枚のアルバム時期の衣装を身に付け、当時のメイクを施し、当時のSEをバックに登場するという、“20周年ならではの見せ場"を用意していたのである。

    届けられたのは「絶望」。これは、2002年にリリースされた2ndアルバム『葬ラ謳』からの選曲であった。

    2日目15日。

    彼らは、“未来と勝負しようぜ!"という前日のミヤの叫びを、ノッケから自らに課していたかのような勢いで攻めてきた。

    「脈拍」「絶体絶命」「CLASSIC」「KILLEЯ」を固定とした昨日と同じ始まりだったのだが、前日に、失うことで強くなり、擦り切れた想いを詩として歌ってきた余力を残さぬ彼らの生き様を見せつけられ、彼らの脈拍を肌で感じたからなのか、その1曲1曲に涙が込み上げ止まらかった程に、深い共感と感銘を受けた。「絶体絶命」で、フロントの3人がSATOちに向き合い、音を重ね、想いを一つにする姿は、胸を大きく掻きむしった。

    そして。この日、5曲目に置かれた楽曲は「絶望」だった。14日のアンコールの1曲目の「絶望」を受け、「絶望」から「君に幸あれ」「黒煙」へと繋がれたのだ。

    「ヤバイ。何十回とMUCCのライヴ観てきてるのに、今日、初めてMUCCを観た感覚に戻れた! なんでだろう? ヤバイ。この気持ちなんだろう?」

    曲間に耳に入ってきたオーディエンスの言葉がとても印象的だった。

    この言葉は、『脈拍』が、結成から20年のMUCCのバックボーンを追っていくアルバムであったことを意味していた気がしてならかった。

    20年という節目を迎えられるバンドが少ない中、それだけの歴史を築き上げてきたことも奇跡に近いことではあるが、MUCCというバンドは、ミヤのサウンドブームが、アルバムごとに色濃く反映され、アルバムごとに毎回大きな変化を繰り返してきたバンドである故に、受け取り手である聴き手は、自分の好きなMUCCをどんどんと変化させられてしまうのである。“提示されたMUCCを好きになれなかったらどうしよう?”という不安が毎回襲いかかる中、MUCCの中に持ち込まれる心地よい違和感のすべては、いつしか“MUCC”へと馴染み、“MUCCでしかない音”となっていくのである。まさしく、今回のツアーは、それを証明していたものであった気がしてならない。

    ステージが透明な光で包まれ、ステージとフロアが全く別の空間にある様に感じた照明の中で届けられた「君に幸あれ」は、スクリーンの中に居る4人を見ているかのような不思議な感覚に包まれた。現在の彼らのまま、「君に幸あれ」がリリースされた2002年にタイムトリップしているかのような、不思議な時間。ピンスポットを用いず、ほぼシルエットしか見えないほどの透明な強い光が4人を包む。オーディエンスも、遠い日の彼らをそこに重ねていたのだろう。身動き一つせず、その曲を聴き入っていたのだった。

    そんな静を打ち破り、狂ったように音をぶつけ、一気にその場を静から動へと導いた「黒煙」を境に、SATOちの叫びから、SATOち作曲の「BILLY×2 〜Entwines ROCK STARS〜」が始まった。ハードロックンロールに、ロックスターに憧れを抱いていた頃の純粋な想いが乗った、手放しで盛り上がれるこの曲で、オーディエンスは完全に心の奥の硬く閉ざされた扉を解放した。

    「盲目であるが故の疎外感」を1曲目に置いたアンコールでは、「蘭鋳」で絶頂を迎え、「1997」で絶頂を超えた。

    「娼婦」から繋げられたこの曲は、“東京! 悔い残すなよ!”というミヤの叫びから始まった。

    いつものように全員を座らせ、ジャンプを煽る前に、逹瑯は、“ファイナルありがとう! 武道館まで突っ走りたいと思います!”と、6月20日、21日に日本武道館で行われる『MUCC 20TH-21ST ANNIVERSARY 飛翔への脈拍 〜そして伝説へ〜』への想いを言葉にした。

    そして。「蘭鋳」終わりで、逹瑯がジャンプを煽り、ヘッドバンギングでオーディエンスの熱を滾らせると。ミヤがオーディエンスに挑発的な言葉を投げた。

    「東京! 過去と勝負しようぜ! 昨日、“未来と勝負しようぜ!”って言って、すげぇ盛り上がったから、今日は過去に勝とうぜ! このツアーで、20年の過去と対峙してきたけどよぉ、過去も未来もどっちだって、どうだっていいんだよ! 今しかねぇんだよ! いけるか!?」(ミヤ)

    そんなミヤの叫びを受け、オーディエンスは間違いなくこの日1番の景色を魅せてくれたのだった。

    このツアーの最後を締めくくったのは「シャングリラ」。

    懇々と放たれる音と魂の叫び。それは、とても美しい終わりだった。盛り上げることだけを目的としない、生きとし生ける全ての者に告ぐ、我(MUCC)こその生き様。そんな彼らの覚悟を、ここに観た気がした。

    20周年の集大成ライヴとなる6月20日21日に控える日本武道館では、20年の歴史にさらに塗り重ねられたこのツアーでの成長を、どんな形で魅せてくれることになるのだろう?

    擦り切れるほどに脈打つ感覚を見せつけて来る彼らと向き合うには、相当な覚悟が必要となるに違いない。

    text by 武市尚子
    photo by 西槇太一